そして次の日の夜、私たちはディスコに行きました。
松永師のところに集まっていた人の多くは当時二十代前半が多く、松永師はそうした若い人を引き連れてよくディスコに行っていたのです。
松永師は言います。
「愛することとダンスとは、ほとんど同じだ。思いっきり踊れる人は思いっきり愛せる」
そして私はいつも狂ったように踊っていました。
しかしその日の夜、私は非常に静かな気持ちで、一通り軽く踊った後、ディスコホールの脇でひとり立っている松永師に近づき、こんな問いを彼に投げかけました。
「先生、本当にある人を愛したいと思ったら、その『愛したい』という思いさえも後にしなければなりませんよね?」
すると彼は無言でにっこりと微笑み、右手でオッケーマークを作りました。
さらに
「先生、普通の愛っていうのは、ほとんど99パーセントが欲望であり、感情ですよね。でもその中を本の一線、注意深さが走っているんじゃないですか?」
するとまたもや微笑みながら彼はオッケーマークを作ります。
それから約一ヶ月間、私はどうも様子が違う自分自身を味わい続けました。
「おかしい…。欲望がやってこない…。がつがつしていない自分がいる…。これは一時的な状態なのだろうか?どうも手持ち無沙汰だ…」
そして次の月に松永師のカウンセリングを受けた私は彼に問い掛けました。
「彼女に対して執着が消えてしまいました。そして、何かを強烈に「得たい、」とか「したい」とかいう思いもありません。どうも手持ち無沙汰で仕方がないのです。先生に瞑想法でも伝授してもらい、とりあえずそれでもやりたいと思うのですが…」
すると松永師は次のように語りました。
「瞑想法というのが助けになる地点もあれば、逆にそれが妨げになってしまう地点もあります。
今のあなたにとっては、瞑想法は妨げです。
ですから瞑想法はしなくて良いのです…。
それよりも、何気ないものを楽しむんです。
風が吹いて、木の枝が揺れている。
道端に小さな花が咲いている。
そうした何気ないものを楽しむんです。
そこに祈りがあるんです…」
「じゃー、この状態と言うのは単に一過性のものじゃなくて…」
「ええ、ステージが変わったんです」
「僕はついにそこまで来てしまったんですか…」
「はい…」
私は、言葉を失って、カウンセリング・ルームを出ました。
勿論私は覚醒したわけではありません。
しかし、17歳の時に初めて見性体験をして以来、これほどの意識の変容は体験したことはありませんでした。
体験ではなく、意識の質の変化を私は感じていました。
その夜、瞑想会の終わりに、参加者全員にワインが配られました。
そして松永師は「○○さんの愛の成就に乾杯!」と言いました。
その言葉の本当の意味を知っているのは、私と松永師だけでした。
まさに「愛の成就」と言ってよい出来事でした。
私の中で、成就が起こったのです。
これは恋焦がれていた彼女と恋愛関係になることよりもはるかに私にとって意味深い出来事でした。
私は一皮剥けたことを、はっきりと感じていました。
そして、この出来事が、松永師の支え抜きでは絶対に起こり得なかったことも…。
それから数日後、松永師のカウンセリングを受けた際に、その出来事を彼に話すと、彼曰く「大分勘が良くなってきましたね…」。
「そうか、やっぱり…」そう思いながら私は、松永師に「もう、いいです…。僕はバグワンの世界に戻ります…」と洩らしました。
すると松永師は
「変わらず彼女をサポートしてあげなさい。ここで彼女からあなたが意識をはずすと、彼女は一生井上さんに対して申し訳ない思いを持ち続けることになります」と言います。
なるほどその通りだとは、理性の部分では思っても、もう何もする気になれない私は、
「もう何もする気が起きません」
とうなだれたまま、つぶやくように松永師に言って、カウンセリングルームを出ようとしました。
まさにその時、松永師は、「こんなことは言う必要がないんだけど…」というような感じで一言私に言ったのです。
「結局のところ、そこで留まれないってことが、あなたの覚醒を妨げているんですよね…」
これは私にとって殺し文句でした。
それを言われては、うかつな行動には出れません。
何しろ「覚醒」或いは「大悟」「解脱」こうしたことをテーマにして私は17歳の頃よりずっと探究を続けてきたのですから。
この松永師の言葉は私の中に杭のように突き刺さりました。
そしてその夜の瞑想会でのことです。
暗闇の中、皆が座って音楽の流れる中瞑想していました。
私は、と言えば、絶望感に、ただ首をうなだれて座っていました。
すると、私のそばに松永師は来て、両手を取り、私に合掌させて、その手を彼の両手で強く握りしめてくれました。
エネルギーを送ってくれているようでした。
私は「ありがたいことではあるけれど…」と松永師に感謝はしましたが、特にそんなことで私の絶望感は何の変化もありません。
さて、翌日の昼です。日曜日でした。その当時、密教の護摩の修法を松永師は月に二回、新代田にある寺を借りて行っていました。
その場に毎回出席していた私は、その翌日の昼の護摩修法にも参加しました。
護摩の炎と音楽と共に、松永師は様々な語りを入れて、参加者の意識に働きかけます。
その日の護摩では、彼はこんな次のようなことを言い放ちました。
「死にそうになっても、愛し続けなさい…。私は、私の全人生をあなたに賭けている…」
この言葉は私の魂に響きました。「私に言ってくれているんだな…」そう思えました。
さらにその日の午後、小田急線の仙川の近くのダンス・スタジオで、瞑想会が行われました。
ダンスミュージックに乗って、暗闇の中、激しく踊る、その私のほんの数メートル先には、私が恋焦がれている彼女がいるのです。
強烈な葛藤と絶望感を味わいながら、踊り狂う私…。
そして、激しいダンスの後、全員横になって、休息すると共に、瞑想が始まります。
テープが掛けられます。
荒れ狂うように流れるハートフルな歌と音楽…、そして松永師の語りとそのエネルギーがスタジオの中を駆け巡ります。
まるで意識の暴風雨のような状態の中、私はただ横になり、くつろいで、音楽と語りに身を委ねていました。
すると、私の中に、ある思いがやってきました。
私にとって最大の恐怖、それは、彼女が他の男性と付き合うこと自体にあったのではないのです。
私にとって耐え難い状況、それは彼女がこの人生ではもはや成長できなくなってしまうことなのです。
「そんな状況だけは見たくない、そんな状態を見るぐらいならば死んだほうがましだ…」
そんな思いが私の深いところにはあったのです。
しかし、その時、なぜか、こう、思えたのです…。
「それでも見ていこう…」
何の努力も、決意も、義務感も、強制もなく、なぜか自然に、不思議と、そう思えたのです。
すると、それと同時に、私の中に、彼女に対する執着が消え去ってしまったのです…。
「いったいこれはどうしたことか?」
私はとまどいました。
「私にとっての今の成長のポイントは何でしょうか?」
「彼女と関係性を深めるためにはどうしたら良いのでしょうか?」
と言ったプライベートな問題と
「私の務めている会社の業績はどうしたら上がるのでしょうか?」
「今販売を検討している商品は、取り扱うべきなのでしょうか?うまく行くでしょうか?」
と言った仕事関係のこと。
この両方について松永師に問いかけ続けました。
そして約一年と半年の歳月が流れ、様々な出来事に翻弄されながら、私はだんだんと煮詰まっていきました。
数多くの修羅場をくぐり、その際にいつも鋭いアドバイスと指摘で、私を助けてくれたのは松永師でした。
私は、松永師のおごらない気さくな人柄と単刀直入な物言いに惹かれていくと共に、彼に対する信頼も深まっていきました。
さて、そんなある日のこと。
私は相変わらず知名さんが好きでした。
しかし彼女との関係性は全く進展していませんでした。
そして彼女の成長に関して致命傷になるようなことが起こるかもしれない状況が起きつつあったのです。
それと言うのも、以前彼女が付き合っていた彼氏が、数年前に地方に行ってしまい縁がなくなっていたのに、その彼氏が戻ってくる、という噂をつかんだのです。
ある日、仕事をしていると「もしも彼女が彼とよりを戻して結婚し、それによって彼女が一生成長できなくなるとしたら…」という想念がやって来ました。
その瞬間私の中に衝撃波が走りました。途方もない苦しみでした。
あまりの強烈さに、私はとても企画を考える仕事などできなくなり、仕方がないので、茫然としながら、黙々とシール貼りをし始めました。
そうしながら「この苦しみはどんなにいいことがあっても、消し去ることはできないだろう」そんな風に思えました。
それから数日後に彼女から私に電話がありました。
「一緒に食事でも…」というのです。
私は思いました。「これはおかしい…」。
だいたい私から食事に誘うことはあっても、彼女の方から誘うことなど今までに一度もなかったのです。
そして一緒に食事をしていると、妙に明るく振舞いながらも、彼女は一言私にこんな言葉を洩らしました。
「いやー、私も最近大変なんだよね。まずいことをしちゃってね…」
その言葉を聞いた途端、私の中に衝撃波が再び走りました。
「やっぱり…」そう心の中でつぶやくと、私は気が狂いそうになるのを必死に抑えて、すぐに自分から彼女に「それじゃ、また」と言って別れを告げました。
やはり私が感じたことは、どうやら事実のようです…。
私は出会ってから当初数ヶ月は、それほど松永師に対して強く惹かれていたわけではありませんでした。
月に五回ほど開催されていた瞑想会にも、一回しか参加していませんでした。
しかし彼と会った翌年(1991年)の三月頃、私は一ヶ月に三回瞑想会に参加してみました。
すると体調や心理状態が明らかに良いのです。
「これは効くな」という実感がありました。
彼の瞑想や覚醒についての理解は私がバグワンの著作やサティヤティルスとの関わりから学んだこととほとんど同じであり、またそれらを補足したり、違った側面から見せてくれるものでした。
そして三月に私は初めて、松永師のカウンセリングを受けてみたのです。
私は当時知名さんのことが好きでした。
そして彼女とは恋愛関係はありませんでしたが、友人関係はあったのです。
私は彼女以外の付き合い始めていた女性がいたのですが、どうしても彼女のことが消えません。
その思いを松永師に語ったところ、彼はこう私に答えました。
「結局のところ、井上さんのハートには知名さんが刻印されているんです。だからそのネガを通して全ての女性を見ているから、どんな女性と付き合っても彼女の代用品でしかないんですよ…」
正直、ショックでした。そして彼の言葉は、私がうすうす「もしかするとそうじゃないか…」と思っていたことだったのです。
私はどうしていいか分からず、うろたえました。
そして松永師に対して「彼女のことをみんなは『ごく普通の女の子じゃないか!』と言います。
でも私は彼女の中に物凄い可能性を感じるんですが?」と尋ねると、
「うん、彼女の中心は非常に高い精神性があります」との答え。
これにも「やっぱり!」という感じでした。
初めての松永師のカウンセリング。「これは効く!」というのがその感想でした。
それから毎月、約四年間にわたって私は彼のカウンセリングを受け続けることになるのです。
その頃、松永師のオフィスは白金のマンションの一室にありました。
そこで毎月五回くらい瞑想会が開催されていました。
私がそこに初めて参加した時は、確か約20数人の人が部屋に座っていました。
松永師は、黒いサングラスを掛け、結構派手な、言ってみればロックのアーチストのような出で立ちで現れました。
少し話した後、部屋を暗くして、暗闇の中、音楽を流しながら、彼の様々な語りが展開します。
その語りの最後の方で、彼はこう言い放ちました。
覚者(悟った人)の周りにはブッダ・フィールドが現れる
バグワンが
クリシュナムルティが
そして孔雀王が
私は内心、「たとえこれが嘘だとしても気合いが入っているな~」と感心しました。
彼の出で立ちには私は全く抵抗はありませんでした。
型破りなマスター(悟りを開いただけでなく人を悟りへと導く機能を持った人)に出会い、関わってきた私にとって、外見が変わっていたり、言動が型破りな人間に対しての免疫は十分すぎるほどついていたからです。
なにしろ自分自身が約三年間、真っ赤な服を着て、バグワンの写真が入った数珠を首に掛けて町中を闊歩していたのですから…。
そういう変わった格好は、その格好に対する反応によって相手の内面を窺い知るいいツールでもあるのです。
約一時間の瞑想が終わった後、彼のトーク(講話)が始まりました。
その時彼が語ったことは、なかなか印象的で、「なるほど」と納得のいくことばかりでした。
例えば次のような言葉です。
私は高野山にも比叡山にも行きました。
しかしあそこには本当の覚醒はありません。
残っているのは伝統だけです。
変な占い師に自分の運命を見てもらうのは避けたほうが良いのです。
なぜなら彼らは「自分の占いが当たるように…」と無意識のうちにいつも念じているからです。
その念によって運命を彼らにコントロールされかねないのです。
私は18年間修行をし続けました。
人を救おうと思って修行をし続けた。
しかし究極的に他人を救うことなどできないのです。
そのことに気づいた時に、全ての宗教の誤りと愚かさに気づき、絶望の果てに悟りが私に起こりました。
そして2000人いる信者を前にして、「信じるのは知らないからです。信者は愚か者です。私が昨日まで皆さんに教えてきたことは全て間違っています。どうか今から私の語る言葉に耳を傾けて欲しい」と語ったら、誰もいなくなりました。
等など
手ごたえのある人間と出会い、関わるのを最大の喜びとしている私にとって、松永師はなかなか面白い存在でした。
彼も私には興味を示したらしく、私が務めている会社に一度訪ねてもくれました。
その時にダイジの瞑想誘導のテープを聞かせたところ、松永師は「…この人も行ってますね。まるで自分が語っているようで、不思議な感じです」と語りました。
また松永師と出会って数ヵ月後に、彼を日本に滞在しているサティヤティルスと引き合わせる機会がありました。
その時には、松永師はサティヤティルスの言葉をただ黙って聞き続けていました。
サティヤティルスと出会った後、松永師は「あの人も悟っていますね。言葉が全て内側から出ています」と言いました。
さて、松永修岳師について語りましょう。
彼との出会いのキッカケは、ひょんなところから始まりました。
1990年1月19日、バグワンは逝去しました。
そしてそれから約半年経った7月のある日、当時私が務めていた会社にある二十代の前半の女性がやって来ました。
彼女はアナウンサーの見習いで、テープの吹き込みの仕事をするために私の友人から紹介されてやって来たのです。
彼女と話をしていて、私はひょんなことから和尚ラジニーシの話をしました。
すると彼女は「その人知っています」と言うではありませんか。
どうしてまた、こんな普通の女の子がラジニーシのことなんぞを知っているのか?
私がとまどいを隠せず、「どうしてバグワンのことなんて知ってるの?」と尋ねると、彼女はこう答えました。
「私の先生で孔雀王という人がいまして~、私のその人の弟子に二年位前からなってるんですけど~、その人がこの5月に『覚醒』っていうんですか~、何かそれをしちゃったらしくって~、それから『この人は私と同じことを言っているから、この人の本を読んでごらん』ってバグワンさんの本を紹介されたんです」
「何?!孔雀王?漫画であるよな~」と私は内心思いました。
当時ヤングジャンプという漫画雑誌で人気の連載が萩野真という漫画家が書いていた「孔雀王」という密教漫画だったのです。
彼女が「興味ありますか~?」と聞くので「あるよ…」と答えると、「今、その先生の講話のテープを持ってるんですけれど、聞いてみます?」と言うではありませんか。
そのテープを聞いてみると、割とまともなことを言っているな~、といった印象でした。
そこで彼女は「興味ありますか~、瞑想会とかありますけど、行ってみます?」と言ってきます。
そこで、その彼女と一緒に瞑想会に早速言ってみることにしました。
それが松永師との初めての出会いとなりました。
さて、ダイジは私の頭頂に手を置いたまま、今度はお経を唱え始めました。
金剛経のような気もしましたが、はっきりとは分かりませんでした。お経を良く知らないから。
そしてダイジはこうつぶやき始めました。
全ては何だ
全ては何だ
全ては何だ
全ては何だ
全ては何だ
全ては何だ
全ては何だ・・・・・・
歌のように、声明のように繰り返される究極の問いかけ。
全ては神秘だ・・・
さよなら
あらゆる私の顔よ・・・・・・
この不気味なつぶやき、語り掛けを聞きながら、私は「ああ、こうやってこの人は抜けて行ったんだなー」と思っていました。
彼の初めての著書「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」に書かれてあったクンダリーニ・ヨガによる解脱の描写とその語りが共鳴していたからです。
やがてダイジは私の頭から手を離し、横たわって目を閉じたままの私に向かってこう言いました。
「あらゆるものを知りたいという欲望が完璧になり、あらゆるものを後にする用意が出来た時に、また戻って来い」
こう言い残して、ダイジは部屋を出て行きました。
しばらくして目を開け、起きあがった私はつくづく思いました。
こんなにも「今」に真摯にいる人のそばに、こんなにもいい加減で中途半端な人間がいさせてもらって、申し訳無い!
その時の気持ちを表すと
「すいません!ごめんなさい!ありがとう!」
でした。
そして、紙の切れ端に「ありがとうございました」と書いて、外に出ました。
それから一週間後、インド行きの日が近づいてきた私は、思い切ってダイジに電話をしました。
電話から声が聞こえてきました。
「はい、雨宮ですが・・・」
その声の、何という非人間性!全く感情がない!まるでロボットか死体のようなその語り口。
私はかろうじて
「あのー、一週間ほど前におじゃましたサンニャーシン(バグワンの弟子)の者ですが」と言うと
「あー、君かー」と少し人間に戻った声音で答えてくれました。
「あのー、もうすぐインドに行くのでもう一度出来たらお会いしたいのですが・・・・」
「うーん?もう全部言った筈だー!」
「はい」
「一番重要なことは、師に最後までついていくって事だ。バグワンは本物だから・・・」
「はい、ありがとうございました」
こう言って私は受話器を降ろしました。
そして、それ以後ダイジとは2度と会えませんでした。
それから約10ヶ月後、ちょうどインドから成田に降り立ったその年の12月11日、バグワンの誕生日、その日、ダイジが死んだ、と聞かされたのは12月も終わろうとしているある日のことでした。
そうそう、今思い出した。
ダイジと会った初日に私は我がインド人の師のことを話していたんです。
これは書いておかなければ!
ダイジに私はこう聞きました。
「以前、先生の弟子の小林さんという人が『ダイジが、バグワンは上の方では評判が悪いんだ、って言っていた』と私に話してくれました。そうなんですか?」
ダイジは「何だ、その上の方ってのは?」と逆に問い返してきました。
「いやー、神々とかそんなところかと・・・」
「バグワンは神々がどうこう言えるような存在じゃない!」
それから少し経って、ダイジは神の愛について話し始めました。
「神の愛に触れた時には、もう凄い歓喜がやって来るんだ。涙、涙さ。俺なんか、もう体中から涙が溢れるぐらいだった」
それを聞いて私が「私のインド人の先生も、瞑想を始めたらハートが開いてしまって一年半ぐらい涙が止まらなかった。それで日常生活が大変だった、と言っていましたが…」と言うと、ダイジは「そりゃ―、俺から見たら合格だね…」と言います。
「その彼は、一生懸命瞑想しても第3の目がなかなか開かなかったけど、リキシャー(インドのタクシー)に乗っていて、そのリキシャーが牛に激突して、金具に額を強烈に打ち付けたそうなんです。そうしたら、第3の目の辺りから血がピューっと吹き出たそうです。
身体中傷だらけで、額からも物凄い勢いで血を吹きながらも、彼は大笑いしながら病院に行き、麻酔を掛けないで治療するように医師に命令したそうです。その時第3の目が開いた、と言っていました」
この話を聞いてダイジは
「…、しかし彼の中心の場は第3の目じゃなくて、ハートだな…」
と言います。
さらに私が
「彼は一度も私には自分が悟っているとは言いませんが、彼はエンライト(覚醒)しているのでか?」
と問うと
「うん、エンライトしている」とダイジ。
一度も会った事がなくても、私を通して分かるのでしょうか?
一晩中、答えを求めるでもなく、ただ自分に問いかけ続けました。
「一体私は何が欲しいんだろう」
次の朝が来ました。
ダイジの書き掛けの原稿を読んだり、隣の八畳ぐらいの瞑想ルームで座禅を組んだりして、あっという間に一日が過ぎて行きました。
座禅をしばらく組んでいると、足の関節の固い私は痛さに耐えられず、すぐに座禅を崩してしまいます。
エネルギーも強烈に上がってきます。それにも耐えられません。
「まだまだ死ねんなー」と思いながら、ほとんどを瞑想ルームで過ごしました。
その日一度だけ、ダイジらしき人がドアを開けたような音がしました。
私の中に恐怖が走ります。
しかしまたドアを閉める音がしました。
私がいるのに気づいてダイジが去って行ったのでしょう。
そして二日目の夕方。
それまでの一日半、水しか飲んでいなかったですが、全くハラは減りませんでした。
一人、畳布きの瞑想ルームで座っている私の耳に、玄関のドアを開ける音が聞こえました。
「来た、ダイジだ!」
ガラッという音と共に、部屋に入ってきたダイジ。
怖くて彼の顔を見れません。
俯いたままの私に向かって彼はこう言い放ちました。
「どういうつもりだ。全てを捨てる覚悟があるのか」
私は「駄目でしょうか?全てを捨てないと?」と俯きながら言葉を絞り出しました。
「よーし、お前が今までやってきたものを、見せてみろ」そう言うなり、どっかと畳に腰を下ろすダイジ。
仕方なく、私は立ちあがり、ダイジの目を見ないままこう言いました。
「ダイナミック瞑想を、やります」
ここでバグワンが創った瞑想法の中でも最も過激で、何かやった気にさせてくれるダイナミック瞑想について、少々説明しましょう。
この瞑想法は五つのステージに分かれています。
第一ステージ 10分
鼻だけを使って、できるだけ激しく呼吸をする。身体全体をふいごのように使って。苦しくなってきたら、もっと激しく行う。
この第一ステージを初めて見た時、私は「これは人間がやるもんじゃない」「身体が壊れる!」と思ったものです。
第二ステージ 10分
狂う。叫ぶ。踊る。泣く。等々。とにかくやりたいことを爆発させる。
感情を解放する。
第三ステージ 10分
手を上に上げ、ジャンプをしながら着地と同時に「ホウッ」というマントラを丹田に叩きつけるように唱える。
第四ステージ 15分
ストップの声と同時に、その瞬間の姿勢のまま凍りつき、固まる。そして内側を見つめ続ける。
第五ステージ 15分
ダンス。内側のエネルギーをただ祝う。
以上60分の瞑想で、専用のテープと共に行うのが普通。
このダイナミック瞑想を行える施設は、東京都内で作るのはなかなか困難でした。
この瞑想の良いところは、3ヶ月ぐらいやっていると顔つきが変わってくるところでしょうか。
まー、とにかくこれぐらいしかダイジに見せられる芸は私にはありませんでした。
さー、第一ステージ。
激しい鼻呼吸。どんどんやっていく。どんどん、どんどん…。
苦しい…。もっと激しく…。
しかし、当然、10分で終わる合図はどこにもなく、いつまで経っても第一ステージ…。
苦しさは増し、身体を駆け巡るエネルギーは増し…。
「ウアー、もう駄目だ。死ねない」数分後には、私は呼吸を中断し、目をつぶり、ダイジに向かって合掌していました。
ダイジはこう言います。「最後までやれいっ!」
「死ねません!」と私。
「エネルギーが下半身で滞っている。最後のステージまでやれいっ!」
「ああ、そういうことか」と合点がいった私は、第二ステージに移りました。
「いやだー、いやだー、うわーっ、げーっ、うがーっ」
ダイジに向かって叫び続ける私。
数分後「次のステージ!」というダイジの声。
「フッ、フッ、フッ、フッ・・・」ジャンプしながらマントラを叫ぶようにして吐き出し続けまし
た。
そして数分後、ダイジの「全てを投げ出して横になれ!」の指示と共に、畳の上に突っ伏した私。
その私の頭の上に、頭頂にダイジは手を置きました。
そして「呼吸を背骨の光のスジに沿って、頭頂に引き上げろ」との指示。
何度か彼の指示に従って呼吸していると、何度もダイジは
「額の前にある光の輪に意識を集中するな」と言いました。
私は「額の前にある光の輪」なんぞもちろん見えませんが、インド人の師匠のアドバイスにより、
極力第3の目に意識を向けようとする癖がありました。
そのことを言っているのだと分かりました。
私はダイジのその一言で言葉を失いました。そのまま何も言えませんでした。
その後も色々と、ダイジと弟子たちの間で展開されるとんでもない話の数々。
曰く
「若い頃、インドに行ってゴア(西インドのリゾート地)の浜辺でぶらぶらしていたら、LSDを西洋人が持ってきた。何粒飲んでも平気な顔をしているんで彼らは悪戯で俺にビンごと寄越して「飲んでみろ」と言う。俺が飲んでも平気でいたら、奴らびっくりしていた。確かに普通の人間なら
死んでしまう量だからな」
弟子
「それでどんな感じになるんですか」
ダイジ
「あー、そりゃ面白いよ、宇宙と一つになったり大変だ」
弟子
「悟るとLSDを致死量とっても大丈夫になるんですか」
ダイジ
「それは違う。俺はヨガの行法をやっていたので、LSDを体外に排出するテクニックをもっていた。それがなければ、悟っていても死んでしまうだろう…」
「プリー(東インドの浜辺の町)で歩いていたら、向こうからインド人が歩いてくる。そいつを見て驚いた。俺がそこにいるんだ。それで大声でそいつに尋ねた。
ハウ・ユー・ゲット・ジス(どうやってこれを得たんだ!)
俺が何でそんなに驚いたかと言うと、インドには禅がないから、心身脱落の境地に至ることは不可能な筈だからだ。そのインド人は、俺を寺に連れていって、クンダリーニ・ヨガを教えた。それで、それから八日間座りっぱなしだ。
そして解脱した(この当りの経緯は詳しくは「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」(森北出版刊)を参照)後、その寺に懸かっている絵を見たら、そいつの顔なんだ。それでそいつがババジっいう聖者だったことが分かった…」
「昔、青梅の方で道場をやっていた頃、ある女が道場を訪ねてきた。
「浜のマリー」って呼ばれてたえらいスケバンで、行き詰まって俺のところに来た。
それ以来禅で座りっぱなしになって、女としては十分なところまで行ったんだ。
ところがクンダリーニをやりたいって言うんだ。
俺は「必要ない、今のままで十分だ」って言っても、どうしてもと言う。
彼女は「死んだママに会いたい」って言う。
しょうがないから、座らせてグーッとエネルギーが上がってきて首まで来た時点で一撃を加えた。
そうしたら3分ほど死んでいた。
そして肉体に帰って来たらゲラゲラ笑うんだ。
「な―んだ。死ぬことってコワイとみんな思っているけど、本当は凄く楽しいじゃん!」
「あなたもこんなバカどもを相手にしてないで早く死にましょうよ。」
そう言っていた。
それでその後しばらくして本当に自殺してしまった。
なぜだか分かるか?
クンダリーニで抜けた人間にとって、この世界に生きるって言うのは物凄い苦痛なんだ。
よく悟った人と人間との違いを、人間と猿やゴリラとの関係のようなものとして表現する事があるが、サルと人間だったらまだいい。
まだコミュニケーションが取れている。
クンダリーニで抜けた人間と普通の人間との落差は、人間と猿との落差よりも遥かに激しい…」
「ところがしばらくすると彼女の霊体が俺のところに降りてくる。おかしい!
クンダリーニで抜けた人間の霊体が降りてくるはずはない!どうしたことか?そう思って、「じゃー、俺も死んでみよう」と決心した。
自分の住んでいたアパ―トの一室で、ガス自殺を図った。
ガス栓をひねり、座して死を待った。
ところが、座って死のうとしたのがまずかった。
寝てガス栓をひねれば良かった。冷蔵庫の電気に引火して大爆発だ!
それで一目散に風呂場に行って、金玉を水で冷やして、それから燃え盛るプロパンガスのボンベの栓をつかんでひねった。
それで救急車が来て俺を病院に運んだ。身体中真っ黒焦げだ。
救急隊員も絶対に死ぬと思っていた。しかし俺が救急車の中で冗談ばかり言っていたから彼らは驚いた」
弟子が尋ねた。
「先生、痛みはないんですか?」
「うん、脊髄に意識を撤退させているから、痛みはない。病院に着いたら俺は「一切治療するな。酒だけぶっ掛けとけ!」と看護婦に言った。
しかし奴らは「規則ですから・・・」と言う。
しょうがないから手の甲だけ油紙を貼らせた。そうしたらそこだけケロイドになっちまった。ほうら、こんなふうにな」
そう言って私たちに見せたダイジの手の甲には確かにケロイドの痕がありました。
「数週間で身体は全快した。しかしその時ついでに顔を変えた。それまではあんまりいい男なんで罪作りだったからな」
その後、昔のダイジを知っている人間にダイジの写真を見せると
「エーッ、これがダイジ?昔は確かにもっといい男だったよ」とのこと。
ダイジは話を続けます。
「その後分かったことだが、彼女の霊体が降りてきたのは、彼女が俺をこの生において助けるために生まれてきたからだった」
そんな色んな話を聞くうちに、世は更け、そろそろ御開きの時間となりました。
ダイジは私に
「今回はいいけど、今度来るときは必ず電話で確認を取ってからにしろ」と言って、近くの自宅に戻って行きました。
私は弟子の一人とその部屋に取り残され、何やらかんやら彼と話しました。
彼もそろそろ帰らなければならなくなりました。もちろん終電はもうありません。
私は彼に「ここに泊まってしまっていいですかね?」と尋ねました。
彼は「いいんじゃないですか」といい加減な答え。
それでその部屋で一晩過ごすこととなりました。
私はその夜一晩中自分に問いかけ続けました。
「一体私は本当に何を欲しいんだろう?」
